不気味の谷

3Dキャラクターのデザインにはいわゆる“不気味の谷”の問題を解決する必要があります。不気味の谷現象はキャラクターの人間への類似度に対する、人の感情的反応をグラフにしたものです。

通常は人間への類似度が高くなればなるほど感情的反応も大きくなると考えられますが、実際はそうはなりません。ある一定の類似度を超えると感情的反応は下がり始め、グラフは大きな谷を形成します。

これはキャラクターを人に似せ、リアルを追求しすぎると、逆にキャラクターの粗が大きくなり、魅力を失ってしまうのだと考えられます。不気味の谷を越えると再び感情的反応が大きくなると一般的には考えられていますが、解決の糸口とされてきたキーフレームアニメーションとモーションキャプチャが発展した現在でも、まだその境地にたどり着いておらず、十分な保証もありません。

結論から言えば私は不気味の谷を飛び越える必要はないと思っています。もちろんデフォルメを是とする表現の向きもありますし、個人制作ではやはり実現できないことでもあるでしょう。

私は、キャラクターはそれを見た人が自由に好きになったり、嫌いになったりできる存在であるべきだと思っています。言い方は悪いですがキャラクターは都合のよい存在でなくてはならず、このような安心感がキャラクターの魅力というものを担保しているのだと考えています。

キャラクターは決して超えることのないシステムという制約の中で生き生きとあればよく、キャラクターが実際に意志や思考を持つのであれば、それらは愛されないでしょう。この感覚は籠の中の鳥を愛でるといったことに近いものだと思います。

私は創作においては、“現実”ではなく“現実感”を、“生命”ではなく“生命感”を表現すべきだと考えます。

不気味の谷を越えないからといって、感情的反応が低くともよいということではありません。そもそも不気味の谷の先に感情的反応の最高点があるかも分からず、感情的反応への執心が、娯楽や表現を高める他の要素とトレードオフの関係にある以上、私は不気味の谷の手前の山で勝負すればよいと思っています。