個人制作の意義

表現性というものを考えた時に、その最たる例は自己表現でしょう。ゲームにおいて、表現を成立させる最も単純かつ効果的な選択は、個人がゲームの要素たる音楽も映像もシステムも作るということです。またそれらの組み合わせによって、単体以上に価値を生み出すというのであれば尚のことでしょう。

もちろん組織的に作られる表現というものを否定することはできません。
しかし携わる人間それぞれが持つイメージ像にはずれがあり、コミュニケーションなどによってそのずれを補正することができたとしても、完全に一致させることは難しく、人数が多ければ多いほど、この問題も大きくなります。

つまり大人数によって表現できることと、少人数ないしは個人によって表現できることは、異なるベクトルを持っているといえます。

大人数による創作において、制作する人間は表現する内容を共有する必要がありますが、それゆえに共有しやすい発想や思想に陥りやすく、表現の角が取れ、丸くなってしまう危険性があります。いわば“毒にも薬にもならない”表現になってしまう恐れがあります。

個人制作の利点として、加えて並列的な制作が挙げられます。
多くの場合、最初に思い描いた表現がそのまま成立することはなく、その過程における試行錯誤によって、よりクォリティーの高い作品が完成されるはずです。つまりゲームにおいては音楽・映像・システムを並列的に作ることが理想であり、これは組織では実現することは難しいといえます。
これによりトップダウンもボトムアップも扱える、自由なゲームデザインが可能になります。

当然ですが個人制作ゆえのデメリットもあります。
全てにおいて個人で受け持つということは作業量が莫大になりますし、できることにも限りがあります。大企業が作るものと同じものは作れません。改めてお話ししたいと思いますが、個人制作を成立させる多くのアイデアが必要になります。

しかし個人制作でなければ作れないものもあるのです。

様々な物語の中で、このキャラクターがどう考えたのか、なぜこの音楽が必要なのか、何がテーマなのか。全ての要素は繋がっているのだから、一つの表現として責任をもって統合的に考えなければならないのです。
まだまだ力不足ですが、個人制作による表現の追求には絶対に価値があると信じています。