幻想の定義 その2

夢物語はファンタジー作品として制作していますが、いわゆるファンタジー作品には二種類に大別できます。一つは異世界を舞台に物語が描かれるハイ・ファンタジー。もう一つは異世界が現実に介入するロー・ファンタジー。

ゲームでいえばポケットモンスターはハイ・ファンタジー、妖怪ウォッチはロー・ファンタジーになりますし、映画でいえば指輪物語はハイ・ファンタジー、ネバーエンディングストーリーはロー・ファンタジーに分けられます。

簡単に言えばファンタジー世界が全く別の歴史として存在しているならハイ・ファンタジーですし、未知の世界を訪れたり、未来の世界を描いたり、現実の延長としてファンタジー世界が描かれるならロー・ファンタジーといえます。もちろんこれらの要素を共に内包する作品も多く存在しますし、明確な区別ができないこともあります。

余談ですが近い定義の分け方として、児童文学においては主人公が別世界へ来訪する場合をファンタジー、元来その世界の住人である場合をメルヘンとして定義します。異世界をどう扱うかは、どの分野でもやはり重要な意味を持つのでしょう。

さらに物語を描く視点によって、エピック・ファンタジーとヒロイック・ファンタジーに分けることができます。物語をある種の歴史として俯瞰で見るエピック・ファンタジーと一人の英雄の視点で見るヒロイック・ファンタジー。

ゲームではヒロイック・ファンタジーが多いですがFinal Fantasy ⅥやSIRENなどはロー・ファンタジーに分類されます。いわゆる群像劇というやつですね。とはいえ他の媒体も含め、演出上主人公以外の視点を入れるものがほとんどですので、純粋なヒロイック・ファンタジーは少ないといえるでしょう。

ゲームという形で伝えることのできる表現はとても広いですが、こうしたファンタジーの定義に照らしてみると、やはり向き不向きはあります。もちろん一口にファンタジー作品といっても前述したような多様性があることが好ましいことですが、私の立場としてはゲームの性質を最大限に生かして本作を制作したいと思っています。

私はゲームの大きな特徴である自己投影の観点から、夢物語はロー・ファンタジーとして構築すべきだと考えています。プレイヤーは主人公としてゲームという未知の世界に訪れるわけですから、これはロー・ファンタジーの定義に則しています。また現実に生きる誰もが見る、夢というテーマを生かせば、現実世界の延長として夢世界を描くことは自然といえます。

またやはりゲームとしてはヒロイック・ファンタジーの方が相性が良いと思っています。多くの場合で主人公は英雄として世界に影響を与えるという点もそうですが、システムとしてみても主人公の視点で物語が描かれるわけですから、これも至極真っ当なことといえるでしょう。

もちろんこれらのゲーム設計がどうあるべきかは好みともいえますし、作品の方向性に大きく左右されます。前述したようなハイ・ファンタジーやエピック・ファンタジーの傑作も山ほどあります。ですがこれは作り手がゲームという媒体におけるファンタジー作品の適正を明確に理解しているからこそだと思います。

ゲームはある意味本当に特殊なジャンルといえます。ゲームでしか味わうことのできない様々な体験をお伝えするためには、ゲームやファンタジーの性質についてしっかり学ぶ必要があると思っています。