デフォルメの真価

キャラクターを見て頂ければわかる通り、そのデザインは非常にシンプルであり、デフォルメされたものになっています。

もちろん個人制作として、デフォルメは作業量を減らすために必要不可欠なものだと考えていますが、デフォルメされているからといって決して価値が下がったり、デザインが安易でよかったりするわけではありません。
それぞれの表現には向きがあり、適正な方向へ労力をかけることで真の価値を生むと考えています。

そもそも我々の見る世界と同等の複雑さを映像に持たせる必要はありません。3Dの映像に加え、映像エフェクト、UIなどを重ねるわけですから、複雑なキャラクターを利用しても、上手く生かしきれない場合があります。

ましてやゲームというジャンルにおいては、ゲーム性を保つためにインターフェースは簡潔にある必要があります。ただ情報量が多ければいいというわけではなく、その中で必要な情報を選別して組み立てるのが創作の肝だと思います。

デフォルメされたキャラクターの利点としては、フィルター系エフェクトと非常に相性が良いことが挙げられます。フィルターは映像をある意味破壊してしまいますが、その中でもキャラクターがキャラクターたるアイデンティティーを保つにはデフォルメは必須であると考えています。

これはモーショングラフィックスでよく用いられるマスクアニメーションにおいても同様です。優れたキャラクターはシルエットで判別できなければならない、とよく言われますが、これは映像制作という観点においても重要です。

そもそもFlashなどに代表されるモーショングラフィックスは、元々はシンプルな静止画を生かす手法ですから、デフォルメと相性が良いのは自明ともいえます。

またデフォルメは物語に関しても親和性があります。
ファンタジーというジャンルにおいては、ある種突飛な物語が描かれます。ゲームの中で多く用いられる、主人公が世界を救うという物語はほとんどあり得ないことであり、それが成立する舞台や登場人物が必要なのです。簡潔に言えば、デフォルメされた物語にはデフォルメされたキャラクターが親和する、ということです。